「HOOD」という作品について。
この舞台は「コロナにより様々な事が制限される中、自分の"好き"の纏い方を生で感じる空間をファッションとダンスで表現する」という考えのもと、パフォーマンスアート集団HIxTOと神戸のファッションブランドbdeとのコラボレーションによって実現したのもである。
パフォーマンスアートとファッションショーのクロス、それは"ダンサーが衣装を着るて踊る"のではなく、衣装によってダンサーの躍りを生みだす。好きの纏い方は何通りにも広がる中で、その一つであるダンスとファッションを舞台に提示する。
演出を手掛けるのはHIxTOに属しているダンサー/演出家の庄 波希。衣装美術を手掛けるのはbodeのデザイナー長井ヒツジ。
会場となる神戸ファッション美術館オルビスホールには半円の特徴的なステージから1本のランウェイが客席へと伸びている。
今回、演出を手掛ける庄は、シンプルな空間構成から、生の身体とイロを持つファッションの混じり合う"命のあるマネキンショー"を創り上げる。命のあるマネキンとは何者なのか。それぞれのシーンを庄は舞台にちりばめるだろう。
タイトルの「HOOD(-hood(húːd))」には頭をおおうファッションの一部分以外に、集団、性質、状態を表す働きがある。
-繰り返す時代から産み出されるHOOD(集団)で作られていくHOOD(性質)をファッションが象徴していく中で、
"自分らしく生きる身体とファッションのHOOD(状態)"を描く。-
我々はこの作品を創作しながら、接触を許さない距離のあるコミュニケーションが当たり前になりつつある窮屈な過渡期に、人間の身体感覚が持つ本質的な可能性を再確認しなければならないと感じる。その為に直接肌に触れる衣は探るべき身体感覚の入口となると考える。
例えば、付けることが当たり前となったマスクでのおしゃれはそれぞれに展開され、ファッションの一部にもなっているように感じる。その様にマスクを「着飾る」ことは精神に何らかの影響を与えており、また、デリケートな口を覆うことから身体感覚へも大きな影響を与えている。ファッションからの精神へのアプローチと身体への影響は個人で差は現れるものの、すべての人に共通して行われている働きである。
そこで、衣を第2の皮膚と考えるならば時間の中で変化し廻り繰り返されるファッションと形の変わらない身体の本質的な感覚はどこで交わるのか。自分の好きを纏う「身体のファッション」を作品から見つけ出してもらいたい!
「人が集まった、生(ライブ)でしか伝える事のできない感覚と、舞台ならではの臨場性は身体感覚で忘れたくない。
演出・庄 波希
だから、厳しい時期での挑戦的な企画になるけど取り組みたいと強く思った。
どうやって新しい自分を作れるのかと自分にとっても考える場になり出していて表現仲間と望むこの舞台に、今からエネルギーが溢れ出している。」
京都芸術センター制作室支援事業 制作映像より
日常を忘れた着方。
今回衣装美術を担当する「イロデアソボウ。」をコンセプトに神戸発祥ファッションブランドである『bde(ボーデ)』の代表/デザイナー長井は語る。
「一概にファッション=機能性って訳ではないと思ってる。
例えば昔のヨーロッパの服に然り、日本の着物に然り、機能性は不十分だ。でもそこに美を感じている時代があった。
現代では機能性を重視しない服のデザインって、
どこのシーンで着るの?とか、どうやって着るの?と問われるけど、、シーンは自分で選ぶことができると思っている。」
「シーンを自分で選ぶ」
この言葉は今回の舞台を立ち上げる大切な要素になりそうだ。衣装によって生まれてくるシーンを生の肉体を使って描く。そのシーンの身体感覚と色を使ったファッションは自分らしく生きる行為として必要な表現方法だと我々は考える。
日常のことを忘れた着方 対談① 庄 波希 × 長井ヒツジ
長井:bdeは立ち上げからずっとショーは絶対にやってるね。普通に物を売ると言うよりは、「お披露目する場所」を絶対作っている。
庄:ショーをやりたいというのがあるんですか?
長井:ショーをやりたいと言うよりは、モチベーションではないかな...?お披露目する場所があることで、はじめて作っておもしろいなって感じると言うか...
今回の「HOOD 命のあるマネキンショー」の衣装に関しては、服っていう概念を捨てれるからいいなって思う!
私生活、日常のことを忘れた着方ができる。普通ならば機能性が重視されるけど、そこをあまり重視せずに、自分の表現のおもしろい方を作れる。なおかつコラボの相手(HIxTO)が肉体的、身体的なものやから、そこに意識向けて服作るっていうのはいいと思った。
庄:今回は、その服だから生まれてくるシーンがある気がします。僕らが身体を使って、、、だから逆に長井さんのデザインする衣装からシーンを作っていくのは面白いなと!
長井:一概にも言われたものをそのまま作ります!じゃないよね。
庄:そうなんですそうなんです。今回、お互いに会話がある感じがいいなって思ってて。前回の衣装を作って貰ったときは、このダンスなんでこういうデザインでお願いしますって感じだったので!
長井:前回は衣装メインでいってたけど。今回は自由度が高いから、よりやってみたいことをやれてる。僕たちのスタンスとしてファッションファッションしてないっていうか、やりたいことをやっているというのがある。
やっぱり普通のオーソドックスな服の方が好まれるのが現状だけど、、
明日からの色を問う 対談② 庄 波希 × 長井ヒツジ
長井:今僕らで旬なのが「ハイカラ」って言葉。〜かぶれの…とか、疎まれるイメージの言葉でもあるけど、
そこに面白さを感じてる。
今の日本をbdeが拘る"色"で変えることなんか無理があるけど(社会現象起こせたら別だけど。)ごく一部のとこからでも攻めていかなあかんのちゃうかな。
庄:わかります!だからねこの公演を見て、明日からちょっと自分の身体と向き合おうとか、明日からちょっと色を取り入れてみようかなとか、観に来てくれた人に、ほんとにそんなちょっとのことでいいんで感じてもらいたい!
長井:そうそう。例えばそのショーが終わって一歩外出て電車乗った時、周りがどんだけ色がないかがわかると思うねん。
庄:たしかに。
長井:六甲ライナー乗って(笑) 六甲ライナー然り。
庄:それはめっちゃ問うかも。色を疑うっていうか。
長井:本番は12月の冬場やろ。。?もっと色が無くなっていると思う。
庄:目立つからですかね?出る杭じゃないですけど。例えばもしかしてビルや風景に調和するための黒服とか!?
長井:でもそれ全く言えなくもないかも。ゆうたら昆虫と一緒やと思うねん。海外やったら景色は色鮮やかになるから色鮮やかな昆虫が多くなる。日本の建築物や環境自体がそういう風になってもうとんかもしれないね。カラフルな建物ってとても少ない。だけど、そう言う中にも似合う"カラフルな色"はあるからね。
三宮の街なんかでランウェイもしてみたいなー。
「この舞台のファッションとダンスを通して
『なんかみんなにもある感覚』の様な、
身体に眠っている共通の身体感覚が作品を通して出てきたときに、すごいものが生まれる気がしている。」
色と身体が混ざり合うパフォーマンスアート!!
12/26.27は神戸ファッション美術館オルビスホールへ。
2020年11月13日 「bde」アトリエにて
9つのシーン。
1 mannequin (OP)
Showの始まり
服を着せられた生きるマネキンたちは、世界に溢れる沢山のファッションをどの様に扱うのだろうか?
2 胎 Tai
ぽこぽこと生まれ出すものたちはどこに向かうのか?
ひとつひとつが集まって小さな変化が大きなつながりになってゆく。
3 性質
原始時代の私達は"火"を使う様になり文明を拡張させた。現代の私達もまさに"火"という拡張現実と出会っている。繰り返す時代の中で、変わらない性質を震わすリズムとは。
4 utopia
軽い体と重い体の対比。どちらが自由でどちらが不自由なのか。自由を求めるユートピアの中で私達は無意識に過ごしているのだ。
5 narcissistic
ファッションが女性か、心が女性が。艶やかに着飾る者たちは音楽と自分に酔いしれながら今日も舞台に立ち上がる。
6 規則/揺蕩う
私たちは身の回りのあらゆる他者を経由し、鏡の様に見立てることで自己を認識している。あらゆるものを高速で生産し消費する現代において、生産-消費のサイクルは自己アイデンティティの揺らぎ–確認へとつながる。私たちを焚きつけるものとは何か。
7 調和
ありのままとは何なのか。冷たい灰色の中に最も自然的な調和を表現する。
8 -hood
いつ着るかはそれぞれの自由。ファッションのシーンは自分で決めるもの。張り付くこの現実と向き合うリスクを背負える私は自分を着こなせているだろうか。
9 命のある(ED)
自分を着こなす喜びを教えてくれたダンスが命に色をつける。
撮影・松田ミネタカ