「rawという作品について」 対談インタビュー
聞き手:箕浦 慧(アートコディネーター) 場所:京都芸術センター
撮影:竹崎博人
(箕浦)本作品のダンサーであり、演出・振付を手掛けした庄波希さん。空間美術を担当し作品中で全身に絵の具を纏うパフォーマンスを行った新宅加奈子さん。聞き手は、京都芸術センターの箕浦慧です。よろしくお願いします。
若手のコンテンポラリーダンスの舞台は、一時間くらいの作品が多いってことなんですけど、結構、90分のランタイムっていうのはどっしりした感覚ではありました。生きる死ぬっていうところは、題材にしてるっていうのはまあ、聞いてわかることだし、もちろん見てもそれが伝わってくるんですけど、もうひとつ、えー……見方を入れるのであれば、自分が生きていることを、こう、なんだろう。自分と他人とがどうやったらわかるんだろうっていう。自分が生きてることって本当は伝わってないのかもしれない。それを伝えるのは、どうしたらいいんだろうっていうようなまあ、レイヤーが見える気がして、自分が生きてることを伝えようと苦悩したり、挑戦したりすることってどういう風に捉えてますか。
(庄)わかってないんじゃないかなあとかも話してましたけどね。僕たちがそもそもこの社会、この世界に、この20……同世代、20代前半がこの世界に生きているっていうことを知らずにしてここまで育ってきたっていう感覚のほうがすごく大きくて。例えば、中学生のときから携帯があって、いつでもだれとでも連絡が取れたりだとか。高校生にあがっていくにつれてSNSでなんでも表現できちゃう。ことばで何でも言えてしまう世の中で、この世界の中に自分たちがリアルに存在しているという感覚は一度も感じたことがないんじゃないかなっていうもとで作品を作ったっていうのはあります。
(新宅)その感覚は私にもあって。その、なんだろ。この舞台ってちょっと哲学的な感じのことを言うと、なんか、ビオス的な生とゾーエー的な生。人間的な生き方と、動物的な生き方っていうのが、すっごい根本と混ざり合っている90分なのかなって思っていて、ただ、そのそもそも同じ生だとしても、さっき波希くんも言ってたみたいに、生きている感覚とか、その、なんだろ、実体感はどこでわかるのかなってすごい思ってて。それをこの90分で、なんか、公演をつくる、構成することで、なにかこう……生と死、まあ分けなくていいんだけど。そこをなにかこう、人間的な生なのか死なのか、動物的な生なのか死なのか、それとも生命体としてのものなのか。なんか、そういったところを表現しているのではないかな……と思います。
(箕浦)うんうんうん。そのさっき話に出た、知らない人とつながれる、なんでも表現できてしまう世界っていうのは、実体がなくても、身体的な実体がなくても、SNSにある種の表現をすることができるっていうこと自体が、今の現代のわれわれの野生だとしたら、人としての実体っていうのはどういうところにあるんだろうっていうのは、たしかに見ててすごい思ったんです。その中で、人が描かれていると思うんです僕は。たしかに特殊効果の多い舞台ではありますよね。スモークたいたり。
(庄)まあそうですね。
(箕浦)インスタレーションとしての蛍光灯が屹立していくとか。映像も若干使われたりしますし。なんらかの技術とかの中で、やっぱり人が描かれている気がして。その人っていうのもどういう筋書きとか流れを持ってこの作品は描こうとしたのか。
(庄)なんか個体として存在している人が、90分という時間の中で、個人に見えてくる瞬間だったりとか……。
(箕浦)個体と個人の違いってなんですか。
(庄)身体が物質として扱われるっていう状態から、精神が肉体に入ってきて個人へと変わっていくっていうのが、大きな流れの中で構成していきたいなって思った部分ではあります。
(箕浦)新宅さんとしてはそこはなんかコミットしてる部分っていうのは。
(新宅)アクセプトの段階で、何時間かわかんないくらいすっごいディスカッションして、それでふわっと出てくるキーワードとかを聞いて、じゃあちょっとそれやったらもっとそのまま置いておこう、肉体を置いておこうとか。
(箕浦)ああ、そういうことですかそういうことですか。
(新宅)最後にそれを肉体をほんとに物質化しようとか。最後蛍光灯とか。
(箕浦)だから身体を物質として置くのも、それはある種の空間美術だし、今回はダンサーが開演前から床に置かれている、ダンサーの身体が置かれている状態っていう。そうやって考えると、新宅さんは自分の身体が物体としての身体に絵の具をかけることで、そこに精神を埋め込んでいくということともつながるというわけですね。
(庄)そうですね。
(箕浦)このパフォーマンスの中で新宅さんは、この椅子に座ってる、すべて服を脱いだ状態で、素肌に絵の具をひたすらかけていく。7人のダンサーが90分間、10個くらいのシーンがあるんですかね、踊りきっていくっていうことがひとつのパフォーマンスで、つくっているわけですけれども。このパフォーマンスの筋書きとか、具体的な制作者の意図みたいなところはありますか。
(庄)意図……。社会をこの身体でどう生きていくのか、みたいなものが。
(箕浦)ああ、これがテーマ。ユニットのテーマなわけですね。
(庄)かなり大きなテーマで、お互い表現の媒体にこの身体表現が存在していて、僕たちがこころや脳以外でも、この肉体でどう、身体でどう、この社会を生き続けていかなければならないのかっていう、生きている内。っていうのがすごくテーマで、だからどうやって感じれば少しでも自分たちの世界が広がるのかなあみたいなところはすごく大きな筋書き。
(箕浦)どんどん……なんていうんでしょうね、難しくなるというか。いろんなことを知れば知るほど、社会っていうことでくくれなくなっていく中で自分の位置をまず確かめて、そこから社会を見定めていくっていう態度はやっぱりすごく大事だし、それができるような作家がどんどん現れてくるといいなって僕は思うんです。rawに関して、「生っぽさ」っていうことをテーマにしていると思うんですけど、ここについて、僕作品を見て、汲み取れたところと汲み取れなかったところがあって、生々しさ、っていうのを考えると、いろんなことが起こるっていう。普段以上にたくさんの出来事が起こっているようなもんじゃないですか、舞台って。そういうところで、生々しいは生々しいけど、ある種持ち込まれた情報だなっていうところは感じたんですけど。このrawに込めた、庄さんの根源的な思いっていうのはなんだったんですか。
(庄)動きの中で生々しさがどうとかっていうわけではなくて、例えば僕が新宅さんに触れたときに、この床に触れた感覚とは絶対違っていて、その感覚がきっと次のダンスにも影響していると思うんですよ。そういったところはかなり意識して方向性を立てていったっていうのはあります。
(箕浦)今回舞台をやってみて、新宅さんは自分の創造性で変わった部分ってのは。
(新宅)感覚的な違いはほんとにすごくあって。絵の具を被ると、簡単に言うとトランスしている感覚があるので、すごくぼんやりとすぐに時間が過ぎ去っていく。なんですけど、ダンサーの方が4人ここに集まって、うわあってなっていくときに、そのすごくセンシティブになっている皮膚上の感覚っていうのがやっぱりこう、なんか身体がすごく拡張されたような感覚がほんとに顕著に表れて。きっとその触れた身体がもう私の身体になっている感覚があります。だから、個体じゃなくなっている感覚。個から逸脱してて。
(箕浦)個体でも個人でもない。
(新宅)ひとりの人間としてもないような気がする。概念的な気持ちになります。
(箕浦)今のパフォーマンスで圧倒的に繋がったこととか、rawについてもこのパフォーマンスのこんなところで、新しく生み出した関係っていうのはすでに常に出てますか。
(新宅)すごいシンプルですけど、いつもはひとりで3~4時間くらい絵の具被ってて。これはひとりではできないなって。ほんとに当たり前みたいなこと言うんですけど。じゃあなんでひとりでできないかっていうと、ひとりだと社会じゃないと思ってて、私はふたりから社会なのかなって。きっとここにはもう社会が生まれていて、その感覚はすごい刺激的だったんです。
(箕浦)じゃあ最後に、raw、これで今日3日目ですね。今日と明日で一応この芸術センターでのシリーズは終了になると思うんですけど、今後なんか考えてますか。
(庄)ヨーロッパやります。嘘です。(笑)
(新宅)すごい。めっちゃ返答が速かった。(笑)
(庄)いやわかんないですけど。
(新宅)いややりたいです。
(庄)いや、まあでも、なんだろう。普通にいったん出演者もそうですけど、いったんたぶん持ち帰って、かなり考えると思います。終わった瞬間に。そこまでが、それが終わるまでがrawだと思っていて。
(箕浦)ひとつ、お客さんも一緒だなって昨日感じで。いったん持ち帰るべき。
(庄)べき、作品。
(箕浦)センセーションがこう、あるっていう。
(庄)あると思うんで、それが一年二年、わかんないですけど、一か月二か月なのか。その時間とともにちょっと見えてくるものがあるのかな。
(箕浦)さっき新宅さんが言っていた社会っていうもの、自分のパフォーマンスの中に置き換えて、っていうようなことを僕としてはすごい期待してて。rawっていう作品の枠組みの中か外かそれはわからないですけど、新しい力と目標というか。モチベーションですよどっちかっていうと。これから見えていくといいなあと思います。
では終わりましょうかね。(笑)頑張ってください。
(庄)いやがん……はい。
(箕浦)それでは今日はこれくらいで。ありがとうございました。
(庄、新宅)ありがとうございました。