この身体で表現することは、私にしかできない
10月22日
読了時間: 1分

作成者 ハルヒ
HIxTOでは、自分の身体に諦めがつく。
と言うと悪い意味にしか捉えられないかもしれないが、その逆で、これはとても良い意味である。
自我が芽生えて十数年、私は私の身体を受け入れられないまま過ごしていた。
首から下は自分の身体ではないような感覚。
肉を引き剥がしたくて仕方なくなることもあった。
『この身体で社会をどう生きるか』
身体は発信のツール、媒体だと考える。
私は他人が近付くのが苦手だ。
他人の体温が苦手だ。
肌と肌が触れ合う感覚が苦手だ。
しかしそれもHIxTOでは関係なくなる。
身体は私であると同時に、マテリアルになる。
作品の一部として息をすることができる。
他者と触れ合い繋がることで、互いの身体は拡張される。
まわりの空気もまとめて一個体になる。
自分の想定範囲外のことが起き、それが自分自身の拡張へと繋がる。
広がった先におもしろさがある。
自分が自分であることが求められる。
HIxTOがそうであるから、生まれる身体に嘘はなく、動きのひとつひとつが言語になっていく。
この身体で表現することは、私にしかできないこと。
構造が気に入らないとて、この身体を使うしかないのである。



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